
STORY03
所蔵作品の予防保存
国立西洋美術館 学芸課主任研究員/保存修復室長 邊牟木 尚美 (へむき・なおみ)
いかに作品を最適な状態で活用しつつ保存していくか、
その考え方や具体的な方法について当館研究員の邊牟木尚美がお話します。
01「保存修復」の考え方
当館は国立美術館の中で、唯一、保存修復室を持つ美術館です。「保存修復室」と聞くと、写真のように「保存修復家が収蔵品に対し、直接、修復処置を施すことのみを行っている部署」を連想する人が多いと思います。しかしながら、我々はいつも修復処置を行っているわけではありません。作品に、直接、修復処置を施すということは、実は「手術」を行うことと同じなのです。


皆さん自身も、手術しか手の施しようがないという最悪の健康状態にならないよう、皆さん自身も定期健康診断を受けて「早期発見、早期治療」に努めたり、日常的に健康維持の努力をしたりしていると思います。美術館でも、手術にあたる修復処置を極力しないで済むように、日頃から健康維持に努めています。
02作品の劣化要因
作品の健康寿命を延ばすためには、作品を劣化させる要因を知る必要があります。作品の劣化要因は、「温度・熱」「湿気・水分」「光」「空気汚染」「生物・虫・菌」「振動・衝撃」「災害」「人的破壊」です。劣化要因が作品に対する影響を知り、原因を「事前に」「極力排除する」ことで、劣化をある程度は遅らせることができます。当館の作品は、新しい作品でも制作後100年程度、古い板絵は800年程経っています。どんなに努力しても、経年劣化は止めることは出来ませんが、劣化スピードを遅らせることは可能なのです。

03「予防保存」のための具体的な対策
作品を良い状態で保つには、温湿度の整った、綺麗で真っ暗な収蔵庫に作品を収納したままにするのが一番です。しかし、美術館では「調査・展示・貸出などで作品を活用する」必要があるため、収納したままにはできません。美術館では、展示などの活用をしながら、作品の劣化の進行遅らせ、劣化を最小限度にとどめる「予防保存」に努めています。では、作品の「予防保存」として、当館がどのような対策を取っているかをご紹介します。
まず、第一には「作品周辺の保存環境を整えて」おり、温湿度、照度、室内空気環境、虫菌害などの管理をしています。皆さんも美術館の中で、写真のような管理対策グッズを見たことがあると思います。これらの対策は、建物管理室や保存科学室が担当しています。




その他の予防保存の一つとして、「展示方法の工夫」があります。地震の際の作品落下・転倒防止、地震の揺れを軽減する工夫がなされています。殆どの屋内彫刻には専用金型が内部に設置されており、彫刻を台座にしっかり固定できるようにしています。天板に彫刻を固定し、それを台座側に固定しています。台座の床面には、厚くテフロンをつけた天板を固定しており、地震の際、床を滑るようになっています。屋外の大型彫刻の台座の中には、作品固定の他に、免振装置が挿入されています。これらのお陰で、東日本大震災の時も、彫刻には全く問題がありませんでした。


また、「作品の定期メンテナンス」も行っています。前庭に展示されている6点のブロンズ彫刻を、順番に1年に1~2点ずつ、定期的に洗浄とワックスがけを行っています。屋外に展示しているブロンズ彫刻は雨ざらしのため、特に都心の大気汚染、上野公園からの砂・土、雨や雪、直射日光、激しい温湿度変化により、劣化が早まります。

これに加え、鳥の糞などの汚れが付着した場合には、休館日に早めに除去しています。

さらに、「定期的なメンテナンス」として、「常設展示の絵画・板絵と彫刻の 状態調査と埃払い」を毎月1回、休館日に行っています。


04「埃払い」はなぜ必要か
埃とは何であるか、ご存じでしょうか?家庭の埃の成分を調べたデータにおいては、埃の成分は、主に「繊維の綿埃、外から入って来る土や砂、毛髪、紙片など」です。その他、「食べ物のカス、花粉、皮膚の粒子、虫の死骸や糞、カビの胞子、排気ガスの粒子や大気汚染物質など」も含まれています。埃も作品の劣化要因物質となるのです。
- ・土や砂:尖った鉱物の微粒子が含まれ、作品表面を研磨する
- ・有機物:害虫のエサになったり、カビが生えたりして、生物学的な成長を助長する
- ・吸湿性:埃が水分や空気中の有害ガス物質を吸着し、金属の腐食、絵画材料の変色、しみを引き起こす
このようなことが起こらないように、作品についた埃を定期的に払う作業をしているのです。

このように、われわれ保存修復室は、作品に手術といえる保存修復処置を施す作業ばかりをしているのではなく、作品の劣化スピードを遅らせるための「予防保存」をおこない、作品をより良い状態で、来館者の皆様に鑑賞していただけるよう、日々、努力しています。
プロフィール

国立西洋美術館 学芸課主任研究員/保存修復室長 邊牟木 尚美 (へむき・なおみ)
英国・国立レスター大学大学院博物館学研究科博士前期課程修了。英国・ウェスト・ディーン・カレッジ金属工芸品保存修復・修理学研究科専門学ディプロマ終了、サセックス大学大学院保存修復学修士修了。
外資系企業秘書、文部科学省科学技術政策研究所客員研究官、国立西洋美術館研究補佐員、東京文化財研究所特別研究員を経て、国立西洋美術館主任研究員/保存修復室長。
専門分野:金属文化財保存修復。博物館学。
留学時に英国ブリストル市立博物館・美術館学芸課東洋美術室および大英博物館保存修復部にてインターン。文化庁平成25年度新進芸術家海外研修制度を利用し、独国ローマ・ゲルマン中央博物館考古学研究所保存修復部にて考古金属資料の保存修復技術について研修。文化庁令和元年前期博物館等学芸員海外研修制度を利用し、英国・大英博物館コレクション・ケア部門客員研究員として、英国の保存修復全般のマネージメントシステムについて調査研究。