VICTOR HUGO ヴィクトル・ユゴー

ロダンがヴィクトル・ユゴー(1802-1885)に初めて会ったのは、この詩人が亡くなる2年前です。ふたりを引き合わせたのは、ジャーナリストのエドモン・バジールです。バジールは前年に《カリエ=ベルーズの胸像》と《ジャン=ポール・ローランスの胸像》を見て、その才能に魅せられ、ロダンにこの詩人の肖像を制作させたいと思ったのです。もともとユゴーの作品を愛読していたロダンにとって、この申し出は願ってもないものであったに違いありません。しかしユゴーの側は当初この申し出に難色を示しました。すでにダヴィッド・ダンジェ(1788-1856)やヴィクトル・ヴィラン(1818-1899)が彼の胸像を制作しており、その出来に不満はありませんでした。なによりも彼は胸像のために長時間モデルを務めることを快く思わなかったのです。結局は熱意に押され、胸像の制作に応じたユゴーでしたが、ロダンには制作のために特別にポーズをとることはしないという条件が示されました。ロダンはユゴーのもとに通い多数の素描を描いたほか、ユゴー家のヴェランダに粘土と台を用意し、部屋でモデルの様子を観察してはヴェランダに移動して粘土に向かうなどして、苦労の末に肖像をつくりあげました1)。
ロダンの《ヴィクトル・ユゴー》の胸像には、台座の形式が異なるいくつかのヴァージョンがあります。国立西洋美術館所蔵作は、最初に制作された胸元にヴォリュームのある作品に続くもので、胸元が斜めにカットされています。ほぼ同じ頃に描かれたと思われるルーアン美術館所蔵の素描《ヴィクトル・ユゴー記念碑の構想》では、台座に置かれた胸像と別の全身像との組み合わせが描かれており、《ヴィクトル・ユゴー》を胸像のままで終わらせるのではなく、記念碑の一部とすることがすでに意識されていたことがうかがわれます。
ただし、この後、正式に《ヴィクトル・ユゴー記念碑》が依頼されたとき、ユゴーは裸体の全身像で制作されることになり、ロダンはまったく別の構成で記念碑を展開させていくことになります。
1)Truman H. Bartlett, “Auguste Rodin Sculptor," The American Architect and Building News, 1889, nos.682, 683, 685, 688, 689, 696, 698, 700, 701, 703.

(大屋美那監修/編集『手の痕跡 : 国立西洋美術館所蔵作品を中心としたロダンとブールデルの彫刻と素描』 展覧会図録、東京:国立西洋美術館、2012年)

制作年

1885年

材質・技法・形状

ブロンズ

寸法(cm)

45 x 25 x 26

署名・年記

左肩に署名: A. Rodin; 背面右に鋳造銘: Alexis. RUDIER. / Fondeur. Paris.

分類

彫刻

所蔵番号

S.1966-0003

来歴

松方幸次郎氏購入; 1944年フランス政府が接収; 1959年フランス政府より寄贈返還.

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