THE DEFENSE (THE CALL TO ARMS) (ENLARGED) 国の護り(武器をとれ)(拡大作)

本作もまた、《ベローナ》同様、コンペティションへの応募作品として制作されたものです。こちらはセーヌ県が主催する記念碑計画で、やはり1870年の普仏戦争にまつわるフランスの防衛をテーマとするものでした。ロダンはここで瀕死の兵士と寓意像である戦争の女神の構成を提示しました。兵士のポーズには、フィレンツェで見たミケランジェロの《ピエタ》(1547年、フィレンツェ、ドゥオモ付属美術館所蔵)のキリストに源泉を認めることができるでしょう。足から腰、肩と両腕、そして首を二重に捩じっている兵士は、その体重を完全に後方の女神に預けています。兵士の肩口から上体を現し、両手を力強く広げる女神は、目を見開き、大きく口を開け、異様な形相をしています。彼女が被る帽子はフランス革命時に解放の象徴でもあったフリジア帽のように見えることから、その姿は自由の女神にも重ね合わされます。左の翼が大きく折れており、女神もまた傷つきながら前へ向かう勇猛さを失っていないことの表れに見えます。

結局、このコンペティションではルイ=エルネスト・バリア(1841-1905)が勝利し、1883年に記念碑はクールブヴォワの円形広場に設置されました。ロダンによる《国の護り》は、その後、1893年に初めてブロンズに鋳造されました。ちょうどその頃ロダンのアトリエに職人として入ったブールデルは、直後に《モントーバン戦没者記念碑》の制作にとりかかっていますが、死の恐怖に向かい合う兵士の姿を描くにあたり、ロダンの《国の護り》からの影響があったことが指摘されます1)。

本作はロダンの死の直前、中立国同盟からの発注で2倍に拡大する作業が職人によって進められ、ロダン没後に鋳造を終えヴェルダンに設置されました。この措置については、彫刻家没後の拡大化というプロセスが問題となり、ロダン美術館館長ベネディットはそれがロダンの熱い希望によって叶えられたことであり、正当性に問題はないと繰り返し主張しました2)。
1)Antoinette Le Normand-Romain, The Bronzes of Rodin, Catalogue of Works in the Musée Rodin, (Rodin et le Bronze, Catalogue des Œuvres Conservées au Musée Rodin), vol.2, Paris: Éditions de la Réunion des Musées Nationaux, Musée Rodin, 2007, p.303.「記念碑と記念碑性」『巨匠ブールデル展』展覧会図録、北九州:北九州市立美術館;新潟:新潟市美術館ほか、2007年、169頁。
2)Le Normand-Romain, 2007, vol.2, pp.304-305.

(大屋美那監修/編集『手の痕跡 : 国立西洋美術館所蔵作品を中心としたロダンとブールデルの彫刻と素描』 展覧会図録、東京:国立西洋美術館、2012年)

制作年

1879年(1906-18年の間に拡大)

材質・技法・形状

ブロンズ

寸法(cm)

216 x 124 x 85

署名・年記

台座右側面に署名: A. Rodin; 台座背面に鋳造銘: ALEXIS RUDIER / FONDEUR. PARIS

所蔵経緯

松方コレクション

Standard ref.

M1261

分類

彫刻

所蔵番号

S.1959-0013

来歴

松方幸次郎氏購入; 1944年フランス政府が接収; 1959年フランス政府より寄贈返還.

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