BURGHERS OF CALAIS カレーの市民

1884年、ロダンはカレー市より14世紀にイギリスの攻撃から町を守った英雄たちの記念碑の注文を受けました。カレー市は英仏海峡に面した港町で、14世紀に起きた100年戦争では、イギリス軍との激戦の地でした。「カレーの市民」として称えられるのは、最年長のユスターシュ・ド・サン・ピエールを中心とした6人で、市を代表する有力者たちでした。フロワッサールの年代記によると、11カ月に及ぶイギリス軍による兵糧攻めに耐えてきた町は、ついにイギリス王エドワード3世の最後の要求に屈し、市の有力者6名が町を救うために命を犠牲にする覚悟で、自らイギリス軍のもとに歩み出たのです。

ロダンは完成にいたるまでに、全体構成を示すふたつのマケットと個別の人物の裸体および着衣習作や各部位の習作を多数残しています。市側からは「ユスターシュ・ド・サン・ピエール記念碑」として、ひとりを英雄的に扱った像を要望されたにもかかわらず、ロダンが第1マケットからずっと主張し続けたのは、6人全員を等しく同じ高さに配置する構成でした。さらにロダンとカレー市の間の意見の相違は人物表現、台座の高さ、設置場所などさまざまな点に及び、そのたびに両者の間には厳しいやりとりが交わされました。とくに人物たちが堂々とした英雄的な態度にはほど遠く、苦悩と失意に打ちのめされた様子で表現されていることに市側は当惑しましたが、結局ロダンは本作を6人の複雑な心理劇として完成させることに成功しました。各人物の個性が際立つ群像ですが、ロダンは《地獄の門》でも見られたような、形の反復をここでも利用しています。ひとりの人物の右手は、向きを変えて別の人物の右手になり、また唇や髪型などをわずかに変形させて、同一の型から異なる人物の頭部が制作されたのです。

結局、記念碑《カレーの市民》は、1895年、1.5メートルほどの高さの台座に載せられ、カレー市のリシュリュー広場に設置されました。ロダンが当初希望していたのは、台座をなくし、現実の人々の目線と同じ高さに設置することでしたが、この案はロダンの死後1924年になって、カレー市庁舎前に移設されたときにようやく実現しました。
国立西洋美術館のコレクションのもとを築いた松方幸次郎がロダン美術館に発注した《カレーの市民》は、1919-21年に鋳造されていますが、その鋳造は、松方の手に届くことなく、1920年代にアメリカのコレクターに転売されました。それに替わる鋳造は1926年になされましたが、これは1950年代の松方コレクションの返還、寄贈交渉の過程でパリに残すことが決まり、現在、国立西洋美術館に設置されている《カレーの市民》は1953年に鋳造されたものです。

(大屋美那監修/編集『手の痕跡 : 国立西洋美術館所蔵作品を中心としたロダンとブールデルの彫刻と素描』 展覧会図録、東京:国立西洋美術館、2012年)

制作年

1884-88年(原型)、1953年(鋳造)

材質・技法・形状

ブロンズ

寸法(cm)

180 x 230 x 220

署名・年記

台座上面前方に署名: A. Rodin; 台座背面右に鋳造銘: George Rudier / Fondeur Paris.

分類

彫刻

所蔵番号

S.1959-0008

来歴

1959年フランス政府より購入

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